tag:blogger.com,1999:blog-6189222954117551322.post1629692185908558533..comments2012-03-05T13:55:04.971-08:00Comments on To The River: 「時間」の事が分からないから、自由意志も分からなくなるKen Mogihttp://www.blogger.com/profile/15611963596749734670noreply@blogger.comBlogger7125tag:blogger.com,1999:blog-6189222954117551322.post-14692556852390882772012-03-05T13:55:04.971-08:002012-03-05T13:55:04.971-08:00K-taisuke氏のcomment に触発されて、少し。
人の意識は身体機能を果たす脳内のみに留ま...K-taisuke氏のcomment に触発されて、少し。<br />人の意識は身体機能を果たす脳内のみに留まっているのではなく、常にはみだしているものであると認識してきました。少なくとも私たちが所属している銀河空間の閾までは意識は常に拡散しているものであると認識しております。そういう意味で、今は現在、過去、未来を常に同時に包括しえているものであると考えていますが・・・。izumihttps://www.blogger.com/profile/14729953318331437342noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-6189222954117551322.post-33232575937123184772012-01-15T10:04:36.313-08:002012-01-15T10:04:36.313-08:00こう言う考え方はどうかな?。一つの線状の時間軸(じく)に、垂直に円盤がついている。円盤は時間と共に回...こう言う考え方はどうかな?。一つの線状の時間軸(じく)に、垂直に円盤がついている。円盤は時間と共に回転(てん)して、その端を、意識上の時間軸(じく)と捉え、それを俯瞰する事により、時間軸(じく)が認識される。(さらに入れ子も考えられる。)<br /><br />(すみません、カッコ内は、漢字が表示できないため、ひらがなで付け足しています。)k_taisukehttps://www.blogger.com/profile/03441214922663219109noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-6189222954117551322.post-70343333040896349152012-01-15T10:01:28.704-08:002012-01-15T10:01:28.704-08:00こう言う考え方はどうかな?。一つの線状の時間軸(じく)に、垂直に円盤がついている。円盤は時間と共に回...こう言う考え方はどうかな?。一つの線状の時間軸(じく)に、垂直に円盤がついている。円盤は時間と共に回転して、その端を、意識上の時間軸(じく)と捉え、それを俯瞰する事により、時間軸(じく)が認識される。(さらに入れ子も考えられる。)k_taisukehttps://www.blogger.com/profile/03441214922663219109noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-6189222954117551322.post-33704827379743954302012-01-15T09:59:07.384-08:002012-01-15T09:59:07.384-08:00This comment has been removed by the author.k_taisukehttps://www.blogger.com/profile/03441214922663219109noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-6189222954117551322.post-59069314614431055362012-01-05T06:56:09.807-08:002012-01-05T06:56:09.807-08:00敢えて言うと2番目の考えから何か出てこないかなと思っています。
意識するとき、各要素(エピソード記憶...敢えて言うと2番目の考えから何か出てこないかなと思っています。<br />意識するとき、各要素(エピソード記憶)はそれぞれ決定論に従って想起(連想)されているが、(計算機的に考えると)無数の要素からどれが閾値を超えて意識されるかは予測できない(n × nの組合せが膨大に有り、またそれぞれが微妙な電気(化学?)信号によっている)。<br />一方、本人から見ると、想起される場合の要因となるのは過去の経験であり、本人にとっては[これだけの(印象深い)経験が有るのだからそのように意識しても当然]と理解し、必ずしも決定論にしばられてはいない(選択の自由は残っている)と感じているように思う。mambo_babhttps://www.blogger.com/profile/10199094957485844294noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-6189222954117551322.post-68629757162897898642012-01-03T18:56:37.478-08:002012-01-03T18:56:37.478-08:00Poyogが書いたことの中で、自由意志は、つまり自由意志のクオリアを持つことである、ということに近い...Poyogが書いたことの中で、自由意志は、つまり自由意志のクオリアを持つことである、ということに近い仮説を現時点ではぼくは持っています。<br /><br />いずれにせよ、時空間的に「今、ここ」の近傍で決定されることだと考えます。Ken Mogihttps://www.blogger.com/profile/15611963596749734670noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-6189222954117551322.post-87216810454489105552012-01-03T16:41:09.420-08:002012-01-03T16:41:09.420-08:00決定論が完全に未来を決定するという意味で自由を束縛するのは神の視点やラプラスの魔の立場にある場合であ...決定論が完全に未来を決定するという意味で自由を束縛するのは神の視点やラプラスの魔の立場にある場合であって、有限の存在(有限の精度でしか初期状態を知ることが出来なかったり、有限の計算資源しか持たない者)にとって決定論であってもカオスの例のように未来を無限の精度で予測できるわけではないので自由意志の余地があるのでは? というようなことを漠然と考えていたのですが、デネットも『自由は進化する』の中でこれに似た主張をしているらしいと知って、同じようなことを考える人はいるものだなと。結局のところ、脳活動とクオリアがどのように対応付けられるかについての自然法則が分からないと、「自由」の意味も曖昧模糊で分からないままだというのは至極最もだと思われます。fronorihttps://www.blogger.com/profile/11167694972879664105noreply@blogger.com