tag:blogger.com,1999:blog-6189222954117551322.post3641053371758267620..comments2012-03-05T13:55:04.971-08:00Comments on To The River: ベルクソンの「持続」と自由意志Ken Mogihttp://www.blogger.com/profile/15611963596749734670noreply@blogger.comBlogger5125tag:blogger.com,1999:blog-6189222954117551322.post-72357453337017914802012-01-06T11:51:55.957-08:002012-01-06T11:51:55.957-08:00「「過去」や「未来」は、「今」という「持続」の中で立ち上がる志向性を通して、私たちの意識に把握される...「「過去」や「未来」は、「今」という「持続」の中で立ち上がる志向性を通して、私たちの意識に把握されるに過ぎない。」という「今」の特異性は、「「他者」や「世界」は、「私」の意識に把握されるに過ぎない」という「私」の特異性と似てる気がしました。 永井均さんは『私、今、そして神』という本で、「「私」と「今」とは同じものの別の名前なのではないか」と論じていました(Cf. 「独今論」http://p.tl/UCaW)。<br /><br />「持続」はまだ勉強中ですが、時間における「持続(自由)/空間(決定論)」、「流れつつある/流れさった時間」、という二項のギャップは、ゼノンのパラドックス「飛んでいる矢は動かない」における、「運動/止まった矢」、あるいは、「砂山/砂粒」、「連続/離散(記号化)」、「内包/外延」、「質/量」、「意識/多数の神経細胞」...等のギャップと似ているかも、と妄想しました。。ではなぜ前者だと自由なのかまだよく分かっていないのでもう少し考えてみます。Yuki Satohttps://www.blogger.com/profile/16495255006540505568noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-6189222954117551322.post-35290358820172126482012-01-06T11:46:10.312-08:002012-01-06T11:46:10.312-08:00This comment has been removed by the author.Yuki Satohttps://www.blogger.com/profile/16495255006540505568noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-6189222954117551322.post-16980146039413717452012-01-03T07:42:51.501-08:002012-01-03T07:42:51.501-08:00時の流れは「未来」を近づけ「今」にして、やがて「過去」に遠ざけていくように思います。
茂木さんの言う...時の流れは「未来」を近づけ「今」にして、やがて「過去」に遠ざけていくように思います。<br />茂木さんの言うように、「今」の中で、私たちは判断し、選択し、行動しています。<br />そしてその際に、「未来」を予測することや、「過去」を想起することが不可欠だと思います。<br />そう考えると、「過去」・「未来」を志向することのメリットとして、大切な「今」に貢献すること、があげられるように思います。パキhttps://www.blogger.com/profile/18092866605351920886noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-6189222954117551322.post-74057157775681238162012-01-02T23:23:53.076-08:002012-01-02T23:23:53.076-08:00数直線のような空間的概念としての時間と、持続としての時間の違いは何か、考えてみました。
ひとつには...数直線のような空間的概念としての時間と、持続としての時間の違いは何か、考えてみました。<br /><br />ひとつには、生命が主体的に参加しているかどうか、ということなのかな。ジェームズの言った、意識の流れ stream of consciousness は、鴨長明の方丈記の冒頭の、<br /><br />行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとどまることなし。<br /><br />に置き換えてもおもしろいんじゃないかと思いました。<br />まさに specious present ですよね。Tsumabenichohttps://www.blogger.com/profile/05829030975073588761noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-6189222954117551322.post-72640667809282381712012-01-02T22:51:36.791-08:002012-01-02T22:51:36.791-08:00「今」が間違いなく「今」であると誰が主張できるのだろうか? ある個人が「今」と感じている「時間点」は...「今」が間違いなく「今」であると誰が主張できるのだろうか? ある個人が「今」と感じている「時間点」は、あるいは「過去点」もしくは「未来点」かもしれないよ。現在と過去と未来の区別はどれほど堅固なものであるとしても幻想にすぎないとある論者は言った。そもそも意識が時間の流れを本当に知覚できているのかどうかということが問われるべきこと。時間は存在しないものかもしれないのに。だから、意識はやはり幻覚しているのかもしれない。Anonymousnoreply@blogger.com