Tuesday 3 January 2012

意識は行列で表せるか?

心脳問題を扱うにあたって物質である脳の側から記述を始める場合、どのような描像(picture)を持つべきだろうか。たとえば量子力学において、Schrödingerは波動関数の時間発展による記述を試み、Heisenbergは時間発展する演算子の行列形式での表現を探求した。これらを折衷した表示法である相互作用描像もあり、見かけが違ってもこれらはすべて等価な結果を導くので、時と場合に応じて一番便利な記法を用いるべきである。

認識のニューロン原理(Barlow, 1972)に基づくなら、我々の認識の内容はニューロンの発火の特性によって決定され、また、それのみによって説明されねばならない。これを数学的に表すにはどうしたらよいだろうか。

脳内に神経細胞がN個あったとしよう。ある時刻tにそれぞれのニューロンは発火しているかいないかの二値状態しか取らないのでこれを1と0で表そう。N個分のニューロンの状態をすべて観測して順番に並べられたとすると、0/1を成分に持つN次元のベクトルができる。ここで、認識のニューロン原理に立ち戻るなら、認識に関する限りにおいて発火していないニューロンは存在していないのと同じであるから、成分として1を持つ部分のみが認識に寄与することになる。ところで、最初からニューロンが存在しない場合と、ニューロンが存在するのに発火していない場合は、存在論的には明らかに異なるにもかかわらず認識論的には区別する必要がない、あるいは換言すれば、区別できないというのは興味深い性質である。

さて、では成分1を持てば十分かというと実はそう言うわけでもない。認識におけるマッハの原理(Mogi, 1997)によれば、単独で発火するニューロンには意味がない。他のニューロンの発火との関係、つまり、発火がどのように伝播したかが重要である。先に導入したベクトル表記ではこのような発火間の関係性を記述できなかった。そこで記述の次元を上げて行列で表すことを考える。N×N行列において、第(i, j)成分を第i番目のニューロンの発火がその投射先である第j番目のニューロンの発火を引き起こしたときに1、そうでないとき(第i番目ニューロンと第j番目ニューロンのうち少なくともどちらか一方のニューロンが発火しなかったか、またはそもそも直接投射関係になかった場合)に0を取るものとする。

人の脳には約1000億個のニューロンがあると言われている。そうすると、行列の成分の数としては、N×N〜10^11×10^11=10^22個程度の0または1が並んでいることになる。この行列が時間発展するところから意識やその現象的側面であるクオリアが生成することになる。神経回路網の発火パターンが行列で表せることが分かったところで、慧眼な読者ならすでにお気付きの通り、この表現はこの行列を隣接行列として持つグラフと同値である。従って、直観的にもネットワークの表現として極めて妥当(かつ自明?)であることが確認できる。

最後に補足として、行列の第(i, j)成分を1にする基準である第i番目ニューロンが発火してから第j番目ニューロンの発火までにどれくらいの時間遅れを許すかについて敢えて厳密な定義を避けたが、この問題は取りも直さず相互作用同時性(Mogi, 1997)と直結し、物理時間tと固有時τの関係を結ぶことになる。また、クオリアの先験的決定の原理によれば、行列のある状態とあるクオリアとがアプリオリに1対1に対応することになる。その意味で決定論的である。

この先、グラフまたは行列の時間遷移から、いかにして意識が創発するかについて議論を進めよう。意識とはどのような演算なのだろうか。脳内で起きている物理現象が、たかだか1000億×1000億程度の行列が時々刻々状態遷移しているだけであるという描像は新鮮だろうか。それともそれくらいのデータがあれば量が「質」に転化して、クオリアのリアリティが生まれても不思議ではないと思えるだろうか。

石川哲朗

後記1:行列で表現できたのは2ニューロン間の関係を記述したに過ぎないからだと気付いた。3ニューロン間なら3次元の配列になるし、以下同様に…、nニューロン間の関係を一度に記述しようとしたらn次元配列となる。ネットワークモチーフ(Alon, 2007)の考え方を導入して整理すべきかもしれない。

後記2:相互作用同時性によって心理的時間がつぶれるときに、3ニューロン間でi→j→kの順に心理的時間がつぶれるのと、i→k→jの順に心理的時間がつぶれたときのクオリアは等価なのだろうか?ネットワーク上で相互作用同時性がどのように伝播するかは重要な問題である。

9 comments:

  1. 例えば、ネットでPCからPCへ情報が互いに伝達されてゆく現象を相互作用的に表現すれば行列で書ける(書く方法がある)。これは、数で言えば、脳のネットワークに匹敵するレベルになっていると思うのだけど、ネット全体の中に意識が生まれてきたりしているかしら?(生まれそうかしら?)

    ぽよは、そんな事は起こらないと思うよ。

    だから、数が多いせいではなくて、何か我々の知らない質的な違いが、意識を生む脳の相互作用にはあるのだと思う。

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  2. 発火の主(ヌシ)の同一性に拠るんじゃないかしら?

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  3. 多次元のニューロン間の記述へ…わくわくしました。

    いちど発火したニューロンは、形状が変わるのかしら?

    いちど発火したのに、認識時に発火していないニューロン群と、まだいちども発火していない処女ニューロン群。

    無意識に関わるのは、いちど発火したニューロン群のような気もしますが、そもそも、処女ニューロンへの焼きつけはどのように?それから焼きかえは起こるのかしら?

    基本的な問いばかりでごめんなさい。ちょっと自分でも勉強してみます。

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  4. 石川の言うように、行列表現に写像できるように見える。その際、ニューロン原理の第一元理性が問題になると思う。ポイントは、すべての変数のうち、意識にかかわる変数(relevant parameters)がどのように第一原理から決定できるか。ニューロン原理は、活動膜電位がそもそもなければ次のニューロンへの伝達が起こらないという意味において、他のすべての副活動に対して優越性を持つ。

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  5. 行列表現と対応させることができるということは、それを今のコンピューター上で(有限時間で)計算できるという事。素子の「活動膜電位がそもそもなければ次のニューロンへの伝達が起こらない」という事も実現可能。

    問題は、そこに意識が生じるかどうかという事。

    ぽよには、計算のどこかに、微視的でアルゴリズミックな仕組みの上に、マクロな時間発展が生まれるような、(収束の計算のような)計算上の飛躍が存在していると思う。

    液体冷やしてゆき、これが凍る時、分子はアルゴリズミックな運動方程式に従った運動をしているが、どういうわけか凝固点を境に運動の様式が変わる。このマクロな変化のための時間と微視的な方程式の時間とを、追加の仮定なしに結びつける理論は存在しない。この飛躍に似た現象が必要なのだと思う。

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  6. 「意識は行列で表せるか?」という題目なのに、「心脳問題を扱うにあたって物質である脳の側から記述を始める場合」と言っているのに、このコメントはおかしいですが、書きます。

    自分が意識しているあらゆる事柄を参考に、意識の配列表現がどうなるかをまず考え、みんなが納得できる意識の配列表現を探します。

    この時、神経細胞のことは一切忘れます。

    みんなが納得できる意識の配列表現が見つかったら、神経細胞のネットワークを表す様々な配列表現と照らし合わせ、意識の配列表現をどう変換したらそれら神経細胞のネットワークの配列表現に近づくか考えます。

    これらの配列表現の相互変換が見つかる事をもって、神経細胞のネットワークの配列表現から意識の配列表現を得られたと証します。

    こういう探し方はどうだろうかと、思いました。

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  7. nが大きくなると意識が生まれるかは、n×n×…の要素からどれが閾値を超えて意識されるかは予測できないということと、実際は0/1の信号ではなく化学物質の濃度なので、nも関係してると思う。また、ある入力から想起された意識(エピソード記憶)は、本人を含んでいれば本人の実体験の記憶、本の記憶であれば本人が本を読んだ…と考えられ、それらが複数有ると…苦悩した記憶を思い出したら、[今回も悩んで同じように曖昧な結論を出す]か、曖昧さによる苦い経験を同時に思い出していれば[本で読んだ誰かと同じ結論を出す]か、先延ばしでうまくいったことを思い出したら[何もしない]…といった意識&行動につながるように思う。

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  8. ここから意識が生まれるのか?という話題の時に、[現時点で決定していないこと]を意識の必要条件と考えてしまうことがちょっと気になる。ふつうの人には選択の自由などの自由が有るから、当然現時点では決定していないと感じると思うけど。ただ、第三者から見ても決定していないことを条件にしようとしていないだろうか?ふつうは誰から見ても決定していないのは当然と思うかもしれないが、実際は、本人が決定していないように感じれば良いような気もする。n×n×… の要素からどれが閾値を超えて意識されるかは予測できない時、本人にとっては決定していないと感じるのではないだろうか?将来、計算機に「運命は決定してると思うか?」と聞くことは一応必要だろう。

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