Monday 9 January 2012

「再現できればよかった科学」は意識の問題には通用しないかもよ

(似たようなテーマですまん。しかも、この話題は多分基本事項なんだろうとは思う。)

神経系において、ミクロなメカニズムは、ニューロンの相互作用と考えられているが、現在の相互作用の規則は将来、もっと適切な別のもので置き換えられるかもしれない。

しかしながら、相互作用を持つという構造が否定されない限りは、神経系のモデルは行列表現を持つことになってしまうだろう。それが例え状態ベクトルがアナログ量で表されていたとしても、系の相互作用規則が行列表現で書けてしまう事を排除するわけではない。

この事と、我々の意識を生み出しているのは神経系なのだという信念とを組み合わせると、多数のニューロンの相互作用から魔法のように意識が湧いてくると言わざる負えなくなる

有機物を、酸素の中で燃焼させる分子同力学的シミュレーションの計算は可能で、そこから正確な量の二酸化炭素と水蒸気が排出され、燃焼熱が発生することが計算ではじき出されるだろう。

これと同格な意識のシミュレーションを行おうとすると、多くのニューロンの相互作用を計算することで、その計算上の神経系が、意識のある人の脳の出力を全て再現する事ができればよいという事になる。つまり「神経科学的ゾンビを計算によって実現できればよい」というのが、これまでの科学の方法による目標であり到達点となっている。

話は、一旦、横道に逸れるが、状況は、統計力学が生まれる前の物理学の状況に似ている。百年以上も前から、物理学は、「未来は決定していることを認めるか、それともニュートンの運動方程式以外の未知の確率的な法則を受け入れるか」の選択を迫られてきている。

ニュートンの運動方程式は決定論的な方程式であるために、初期状態を全て与えられたら方程式に従って未来が決まる。我々の能力が初期状態を知ることができないとか、計算に要する時間が現実を超えることは無いとか言う事があったとしても、未来が決定していた事を確認できるのを否定できない(=未来が決定している)ということになってしまう。

統計力学以降、量子力学によって、位置と運動量を同時確定的に観測できないことが分かったが、これは、観測値が不確定性を持つ(確率的だ)と言っているのであって、自然界の時間発展が確率的だ(未来が現時点で決定していない)と言っているわけではない(※注1)。シュレディンガー方程式は、決して確率的な時間発展をするわけではなく、決定論的な方程式だからだ。そして、ヒトがなす観測操作であっても、ヒトは原子、分子から作られた自然の一部なのであり、それは、シュレディンガー方程式で記述されるべきだからだ。

初期の成功をおさめた統計力学は、アンサンブル平均が時間平均とが等しくなるという仮定(エルゴード近似)が成り立つ範囲の近似であって、元々のニュートンの運動方程式が現実に計算可能であればこの近似が必要ないと考えられた。実際には、アボガドロ数個の分子の全てに対する方程式は、数が多すぎて現時点において計算可能ではない。(※注2)

ところが、現代においては、アボガドロ数個の方程式の計算は依然無理だとしても、十分に統計性が見えるほどの数の方程式を数値計算によって解くことが可能になった。

重要な点は、その現代においても、統計力学に依らねば例えば相転移現象(例えば、磁石を熱していった時にある温度(キュリー温度)で急に磁石でなくなってしまう現象)等を理解することはできないということだ。

例えば、磁場を(正確には交換相互作用を)及ぼしあう原子同士の運動方程式を、いくら眺めても、キュリー温度が出てくるようなメカニズムは見えてこない。

ところが、エルゴード近似を施して初めて、例えば比熱の発散する温度としてキュリー温度を求めることができる。

エルゴード近似を施した後の統計力学をマクロな方程式と呼べば、このマクロな部分が無くても、ミクロな方程式だけで、現象を再現できる。ところが、マクロな方程式無しでは、ミクロ方程式が膨大な数あって初めて現れてくる特異点(相転移温度)を解析的に予言できない。

以上の類推から、ぽよは、140億個の大脳皮質プライマリーニューロンの相互作用を行列で表現し、計算を忠実に遂行して神経科学的ゾンビという現象を再現することができたとしても、依然として、何故意識が浮かび上がってくるのかを理解できることは無いと思うのだ。

 石川による記事で投げかけられていた問「量から質への転換がおこるだろうか」に関して、膨大な数のミクロ運動方程式による相転移現象のシミュレーションは、まさにこれが起こっていることの一例を提示している。

しかし、我々が必要としているのは、どのようにこの転換が起こっているのかを科学的に理解することであって、シミュレーションで結果を再現することだけではない。シミュレーションの結果を観察することでは、結局、リアルな世界で自然現象を観察した場合と同じ情報しか得られないだろう。

よく言われることだが、科学で重要なのは「再現性」であるという。しかし、意識の問題を理解するために、これまでの科学は、更に、一振りの塩(何らかの変更)を、必要としているのだと思う。

未来の科学に必要となる小さな変更(先入観を捨てる事)とは、一体なんなのだろうか? 

それは、「同時性の破れ」や「不確定性」の受け入れに相当するようなことであるに違いないと、ぽよは考えている。そして、その変更は、それが受け入れられた後では、あまりに当然過ぎて、過去の人々は何故、この変更を受け入れられなかったのか首を傾げるようなものであるに違いない。更に言うなら、適用範囲を現代の科学の守備範囲に絞った場合には、正しく現代科学の結論と同じ結果を出すようなものであるはずだ。

考えてみれば、相転移現象を説明する統計力学も、時間変数の方程式を確率分布に変換する時にエルゴード仮説に基づく「解釈」を加えて近似しているのであって、運動方程式やシュレディンガー方程式から導いているわけではない。

ここで、「解釈」などという呼び方をするのは、その解釈が無くても、運動方程式だけで現象が起こるからだ。この事から類推して心脳問題を考えると、現状は以下のようになりそうだ。だが、ほんとうにそうだろうか?

 「形式的な基本方程式で神経科学的ゾンビを作っても、そこに心が宿ってしまう。しかし科学的理解は謎のままだ。将来、(僅かの)解釈を加えた統計力学に相当する理論によって、心がある状態に対する科学的理解は得られるかもしれない。しかし、依然として形式的な方程式から心の科学的理解が導かれるわけではない。」

少なくとも、「再現できればそれでよい」と言っているだけでは埒があかない事だけは確かだろう。




※注1: 未来に何が起こるかが決まっているが知ることができないと言うのと、未だ決まっていないのとでは大違いだ。更に言うと、恐らく、本ブログの著者達の共通意見(違っていたらゴメン)である、

「自由意志の自由性が、未来が決まっていない事の証拠とはなりえない」、
「未来が決定論的に決定していても、自由意志の自由性は存在する」

という事などと直接関係があるわけではない。ただ、


「自由意志よりも、より物理的な概念のはずの確率性が存在していたとしても、未来が決定論的に決定していることと矛盾しない」


という事を思うと、確率性の起源について理解することが自由意志の理解のための近道なのかもしれない。


※注2: ここでは、本当に現時点の計算機で現実的な時間で計算可能かどうかという意味で言っているが、以降の段落で書いているように、情報理論的な計算可能性が成り立っていたとしても神経科学的ゾンビどまりの理解しか得られない。科学は、結果として情報論的な計算可能性の範囲で満足しなければいけないような現象を対象にしていたとしても、それ以上のものを求めて進歩してきたのだ。「再現されるだけでよいなら不要なはずの統計力学」が何故必要かを考えれば、それは明らかだろう。

4 comments:

  1. 「それは、「同時性の破れ」や「不確定性」の受け入れに相当するようなことであるに違いないと、ぽよは考えている。そして、その変更は、それが受け入れられた後では、あまりに当然過ぎて、過去の人々は何故、この変更を受け入れられなかったのか首を傾げるようなものであるに違いない。」というのは、本当にそうだと思う。田森が言うところの、「これ以外にない」と思われる理路の、暗黙の前提になっていること(時間の経過とか)が、意識の起源と深くかかわっているのだろう。 茂木健一郎

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  2. These experiments also raise an important question for artificial intelligence: If our cognition and decisions are partially rooted in how we use our body to navigate our environment, will intelligent machines of the future require a physical presence in order to match human intelligence?

    これは、@fronori さんのtweet で知った聞き手の話の中の文章で印象的だったところです。http://www.scientificamerican.com/article.cfm?id=what-hand-you-favor-shapes-moral-space&WT.mc_id=SA_DD_20120104 

    intelligent machines には身体が必要かもしれない、ということは、「再現できればよいと言っているだけでは埒があかない」と繋がっているように感じました。

    大変大雑把で恐縮ですが…。

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  3. 統計力学に相当する理論が必要なのは確かにそうですね。統計(的)計算の手法は現在不明ですが。ブログの著者の方々はよく議論されているようなので、おそらく決定論を基本として、「未来は決まっていないが、決定論に従う」ものを考えようとされていると理解しました。ボクが思ったのは、おそらく実際には統計的手法が心の状態の科学的理解を導くことに一旦は使われるのではないかということ。さらに進んだ「心の科学的理解」はアウトプットのイメージ…式?何らかの配列?が気になりますね。

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  4. 「形式的な基本方程式で神経科学的ゾンビを作っても、そこに心が宿ってしまう。」
    というのはかなり衝撃的なコメントですね。(意識が幻想であっても良いくらいです。)ここにリソースを投入したいという人も有ると思われます。ボクの考えている仮説の一つは、物理的な説明を必要としないものかもしれない(統計的手法のみ)ので。科学においても先に観察して後に解明されていくという手法はよく有ると思うので、完全な予測が後に観察により明らかにされる例と考えるべきか迷うところです。

    こういうのも有ります。
    主流な研究とは言いませんが、年末に出た本に、記憶と信号の大小判定を組み合わせたものを「意識」と呼ぶシステムの提案が載っていました。長く研究を続けた方で、米国のメディアでは大きく報道されたとのことです。実際英語圏的なおおらかな研究ですが、Siriなどを見てもこの方向の声も有ります。

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